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アメリカでデモクラシーが始まりつつある

essay

 アメリカは大衆を基盤にしたデモクラシーの国家というイメージが強いけど、二大政党は大衆政党というよりも名望家政党の色合いが強く、選挙もローカル集会に見られるようにべたな世界。大統領選挙も、民主党のエスタブリッシュメントと共和党のエスタブリッシュメントの二者択一。結局はエスタブリッシュメントのための2人の候補の中でどっちが好きか、どっちの方が希望が持てるかを選んでいた。

 これまでのところはそれで奇跡的にうまく行ってきた。モンロー主義だったり、日米戦争だったり、冷戦だったり、パックスアメリカーナだったり、金融資本主義だったり。南北戦争でさえ、エスタブリッシュメント間の争いで、大衆の不満が吹き出てくるような状況ではなかった。

 今年の大統領選挙はトランプだったり、クルーズだったり、サンダースだったりと、エスタブリッシュメントのロジックに反する候補が代議員を集めた。国民が(正確に言うと今の段階では党員が)エスタブリッシュメントのロジック、手腕に疑問をもつようになったからではないかと思う。「頭のいい人たちに任せとけば大丈夫だろう」から「あいつらのいう通りにしてたら苦しくなったやんけ」に変わってきた。

 前回のペイリンの健闘からその芽はあったが、オバマの改革、特に医療保険改革がうまくいかなかったことから、エスタブリッシュメント、ウォール街に対する不信感が拡大してきたんじゃなかろうか。

 大統領選挙本戦では、トランプ側が「ウォール街のヒラリー・クリントンVSアンチエスタブリッシュメントのトランプ」という対立構図を作り出せれば勝つ可能性もある。

 エリートの手にあったアメリカの政治が大衆の手に渡る、あるいは渡りそうになることで、アメリカのデモクラシーがほんまに国民のものになるんじゃなかろうか。それは安定とか国民の幸せとか世界の平和とかにとってプラスになるとは思えないが、これもまたデモクラシーのコスト。