- 作者: ダグラス・マレー
- 出版社/メーカー: 東洋経済新報社
- 発売日: 2018/12/14
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ドイツは戦後戦闘的民主主義と言われる「他人の自由を侵害する自由は許さない」ということでやってきたけど、気が付いたらそういうものに価値を認めない人が多数になってしまったというパラドクス。
なぜそうなったかというとナチス政権があったからで、なぜナチス政権が生まれたかというとベルサイユ条約の条件が過酷だったから。で例によって個人的見解では「イギリス最低だな」となってしまうわけだが。
訳文もスムーズで読みやすい。
いろいろと金言が並んでいるので引用しておく。
イスラム史上に現れた多くの改革運動や改革派の人々は、ことごとく原理主義者の実力行使や論争や権威者への訴えによって打ち負かされている
つまり、今後もイスラムの改革が実現することはないと。
このような失敗の停留には数多くの政治的・戦略的な思惑がある。だが同時に、それらすべてに勝る道徳的自己陶酔も存在する。
ヨーロッパ各国の話です。
政治家が時刻の過去について絶えず謝罪しているように見える国は−やたらと謝る国もあれば、まったく謝らない国もあるという世界にあっては−しまいには罪悪感を抱く特別な理由がある国だと見られてしまいかねないからだ。
オーストラリアとかカナダの話です。
人権思想はそれ自体がキリスト教良心の世俗版を根付かせようとする試みなのだ。
誰かを人種差別主義者やナチスと批判する側は、誰であれ反人種差別主義者や反ナチスとなり、いわば裁判官や陪審員の立場に身を置けるのだ
欧州人は「反ファシズム」という言葉の価値を、それが必要になるときが来る前にしぼませてきた
人種差別主義は不快なものではあるが、それは一部の人々が抱えがちな数多くの欠点の一つであり、すべての政治論議や文化論争の基礎になるものではないと。
現状を維持して、それに不平を言っている方が、短期的な批判を享受して社会の長期的な降伏を図るよりも楽なのである。