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一億総活躍社会への疑問

 とゆうてもコンセプトではなく言葉のセレクトに関しての疑問。

 コンセプトとしては反対することが難しく、今の時点ではせいぜい「具体策が見えてこない」あたりの批判しかできないわけで、うまいと思う。しかし、これを目標として掲げるのはとてもリスキー。

 ベースになる一億総中流化という言葉は、高度成長により格差が少なくなってきた状況を表したもので、もともとの目標としていたものではなく、結果。しかも誇張して言ったものであって、実際に全員が中流化したわけでもなく、全員が中流意識を持ったしたわけでもない。

 で、内閣が「一億総活躍を目指す」と掲げる、つまり目標化するということは、目標が達成されたかどうか検証されるということになる。で、「総」という文字が入っているおかげで、一人でも活躍できなければ目標未達成とみなされてしまう。「すべてが・・・」を否定するには1つでも例外があればいいというのは論理の基本。実際、1人の例外もなく活躍したたとい認められる状況なんか実現できるわけないし、そこまで極端でなくても、批判する側はいくらでも活躍できなかったと思われる人や地域を挙げることができる。すまり「一億総活躍」は決して達成できない目標で、はじめから負けが確定しているゲーム。

 言葉の選び方が慎重かついいとこをついてきていた第二次安倍内閣なのに、これはどうしたことか。