iromachi
菱屋町商店街のアーケードの終わるあたりの東側(琵琶湖側)。 いかにもそれらしき建物。 その手前の空き地、かつては典型的な建物があった。去年の頭にはリノベーション向け物件として売りに出ていた。
「新ときわ」と表示のあるお店。転業して「新」をつけたんかな?
なんか立派な建物だけど、誤認かもしれない。 転業?元々港町なので非転業の旅館があってもおかしくはない。
下調べ不十分で、嗅覚も冴えず、先を急いでいたこともあって、遺構と確実なのはこちらくらい。
その筋では超有名な佐渡両津の旧遊郭金沢屋旅館に10月24日と26日の2日宿泊。 1階。
ここから水金に移転したらしい。坂の途中。まったく面影もない。
相川の中心街からちょっと外れたところにあった。遊女供養塔と説明板。 すぐお隣の建物、荘厳広大で、もしかして元々は、と妄想した。
かつて栄えた大観光地。行ってみたら気になる建物が。
事前調査では突然広くなる道幅くらいしか名残はないとのことだった。 これがまさに広くなるところ。 その広くなったところの角のお家、雰囲気を残して建て替えたのかも。 突き当たった通りもこの周辺だけ広い。これも遺構かもしれない。
交易や宗教で栄えた三重県最南部の中核都市。 街の案内図。予め調べていたスポットには「木造三階建ての珍しい建物です」との解説が。 その建物。よくメンテナンスされている。 役場跡の並びにある。案内図にはその隣のブロックかのように描いてあるが、そこ…
前日の宿のすぐそばの遊郭跡。 最近まで遺構が残っていたという尾越屋。 尾越屋と道を挟んで西側の建物。これは当確でええのでは。 そのさらに南側の建物とその裏。
かつては遊郭ができるほど栄えた港も、今は普通の漁村。 これはどうみてもそうでしょ。 お隣もそれっぽさある。 後ろから。
志摩市旧浜島町の浜島遊郭跡。 下調べによると唯一現役の建物というスナックエンゼル跡のあるテナントビル(?)。 ベージュっぽい壁の建物がそれ。手前の家は解体工事中。 逆アングルから。手前の建物もそれっぽいような。家電店跡。
岡崎の東の方の遊郭跡。 突如道幅が広がるあたりに名残が。 その1本北の通りも無駄に(今となっては)広いあたりも名残。 名残らしき建物は発見できず。
松應寺前横丁はかつて松栄連と呼ばれた花街の跡らしい。
名前からして瀬戸らしい。 痛恨の手ブレ。 こちらも遺構らしい。 上の2軒から道を挟んで東側にもそれらしき建物があるけど、目が覚醒しすぎているかもしれない。 なんとなくそんな気がして、妄想が止まらない。
判別困難な建物が多いような感じ。 いきなり玉突にノックアウトされそうになる。 転業の可能性が高い旅館。裏側にまでつながっていた。
城下町のメインストリートより1本西の通り。 これはかなり確度高い。
春日部の道風荘の跡には転業と思しきラブホテルが1件あるのみ。 唐突に飲食店があるのも名残か。 春日井は小野道風の出生地だと言われているんだとか。
豊橋2か所め。夜行くとしゃれにならんという噂もあるので、予定通り朝に。
豊橋駅の北東方面、いかにもそれらしい区画。
転業らしき料亭。 それらしき建物。
この転業らしき料亭しかそれらしいものがみつからなかった。
いろいろ探したが、これしかそれらしき建物は見つからず。
1件だけそれっぽい建物が残っていた。 その向かいがプチ飲み屋街。
転業らしき料亭。 転業らしきラブホテル。
前日の東遊郭に続き、舟入町の西遊郭エリアへ。 大きな料亭羽田別荘。転業ではなさそう。 www.hadabesso.com 一帯は転業ラブホテル街。 以前の建物の雰囲気を残してリフォームされたと思しき建物。
ロードレース全日本観戦遠征のついでに広島東遊郭跡へ。 今も繁華街で、伝統を継ぐような業種の店も多いところなので再開発が進んでいるが、1件だけ転業旅館が残っている。一楽旅館という名前。 1-raku.jp 新型コロナウイルス流行の煽りで休業中らしい。
まだ行っていなかった五番町の遊郭跡。水上勉の「五番街夕霧楼」の舞台。 目印になる千本日活。現役で営業中、600円だとか。 明らかに当時の建物。いまはペット関係のお店。
瓦町にあるという遊郭跡を巡ってみた。当時のものらしき建物は2軒。 当時からの周辺飲食店の流れをくむんやろか。 転業らしき旅館。 転業旅館やったんちゃうかという建物。